アキラさんのスピリチュアルセッションのシェアをします。

投稿日:2009 年 10 月 23 日5:55 AM

天職を生きている、神通カウンセラーのアキラさんのスピリチュアルセッションを
してもらいました。チャネリングです。

預言カフェのメッセージ

投稿日:2009 年 4 月 21 日9:35 AM

先日、預言カフェに行ってきました。

預言カフェ
http://ciatk.exblog.jp/

教会がやっているオシャレなカフェなんですが、イエス様からの
メッセージをいただけます。
宗教など関係なく。

こんな感じです。忠実に再現しました♪

主は言われます。
愛するわが息子よ、私はあなたを愛しています。

あなたの中に麗しい、従う、へりくだったサーバントな
心を見て知っています。

隆太の半生記 (5) ~ 絶望の社会人時代 (1)~

投稿日:2009 年 3 月 6 日9:21 PM
隆太の半生記(1) ~幼少時代~
隆太の半生記(2) ~中学時代~
隆太の半生記(3) ~高校時代~
隆太の半生記(4) ~秘密の告白。大学時代~
http://ten-pro.jp/ryuta/?p=135
(4)のつづきです。

隆太は、大学のときになりたかったテニスコーチになって
社会人となりました。

ただがむしゃらに、練習をしていました。
そうでないと、他の人に全然追いつけなかったので。

仕事そのものも過酷なもので、月3日の休みで、朝8時半から
夜10時ごろまでテニスをしている毎日でした。

下手だったのですが、やってもやっても上手くもならず、
身体はボロボロで、休みの3日は整骨院に通って終わりました。
肩、ひじ、腰など、関節は全部ダメになっていました。

あまりの疲れで車を追突してしまうこともあり、
自分はもうテニスコーチをやるのは限界だな・・と思いました。

そんなときに、知り合いから、「いい話があるよ」とあるビジネスへと
お誘いをかけられました。

隆太の半生記(4) ~秘密の告白。大学時代~

投稿日:2009 年 2 月 25 日10:22 AM
隆太の半生記(1) ~幼少時代~
隆太の半生記(2) ~中学時代~
隆太の半生記(3) ~高校時代~
(3)のつづきです。

 

大学に入った隆太は、期待に膨らみ、ワクワクしていました。

 

学校生活は自分で決められる。
いままでの自分は卒業できる。
好きなことをしていくんだ。
人間関係も、これから新たに創っていくんだ。
うれしかったのもあって、テンションは高めで過ごしていました。
まずは、明るくしよう。意識的に、そう振る舞おう。
洋服も、いままで着なかったようなものも少しずつ着てみよう。
そうしていたら、高校のときには絶対に友人にならなかった
ような人たちと、仲良くなりました。
少しずつ、変わっていき、自分のことも好きになっていきました。
こんな自分もいたんだって。
でも、まだそうは言っても及び腰な自分がいて、テニスを
やりたかったにも関わらず、スキーサークルの勧誘を
断れずに、入ってしまいます。
2年になって、友人にテニスやりたいんだよねって言ったら、
うちに来る?って誘ってくれました。
やりたかったテニスができたこのときから、もう恐いものなしに
なっていました。無邪気な子供のように。
とにかく、なにもかもが楽しくなっていました。

 

大学では、勉強もせず、テニス、飲み、合コン、バイト、
マージャンなど遊びまわっていました。

 

バイトは、「ありがとう」っていう言葉が言葉に出すことが
できなかったので、強制的に「ありがとう」って言わざるを
得ない、飲食店のバイトを選びました。
少しどもりも、昔からあったので、「あ、ああ、あありが・・」
って言っている間にお客さんが帰ってしまっていたり(笑)
っていうのを繰り返していました。

 

20歳を越えたころ、両親とはまだまだ折り合いもつかず、自分の
ことはほとんど言いませんでした。

 

祖母には、言っていたのですが、ある日祖母に、

 

「俺はほんとにこの両親から生まれたのかな~、信じられないよ。
 父親とはぜんぜん性格もちがうし、母親はぜんぜんわかって
 くれようともしないし・・」

 

って、半分冗談で言いました。
すると、祖母は、泣き崩れて、
「あなたは、両親の子供じゃないの。別の父親がいるの。」
って、言いました。

 

一瞬、「え?」って思いましたが、すぐ飲み込めました。
生みの父親と、育ての父親がちがっていたんです。
これは、なにかのドラマの話??

 

それを聞いたとき、隆太は、悲しくなると思ったんですが、
悲しいという感情は不思議なことにまったく出ずに、
「あっそうなんだ」って受け入れました。
理屈ではなくて、心の奥底で、もしかしたらわかっていたのかも
しれません。なぜかはわかりませんが。

 

たまに、どうしようもないくらい、孤独感を抱くことがありました。
そして、3歳くらいまでの記憶がほとんどないのです。
幼心に、ぼくは1人なんだって、どこかで思っていた。
だから、理解されない、だから、理解してほしい。
だから、本当は理解してくれる友人がほしい。
そんな裏腹な、精神状態だったんでしょう。

 

強く生きようっていう気持ちは、そのときから、芽生えていたのか
もしれません。そして、人にはやさしくしたい。そんな気持ちも。

 

でも、いまの両親に対しての態度が変わることもありませんでした。
(両親は、私が知っていることをまだ知りません)
祖母に対しても、
「でも、育ててくれたのは、いまの両親だし、なにも変わらないよ」
って伝えました。実際、そうでしたから。

 

就職活動の季節になりました。
好きなことをやっていきたい。
そんな思いで、大学3年を迎えました。

 

その前くらいから、人生や仕事、こころ、人間関係、自分に
ついて悩んでいたことから本を読むようになっていました。
どうしたら、自分らしくなれるのか。

 

隆太は、どんな仕事であっても、「人」が関わる。
「人」が、人生のキーワードで、人に関係することで、
好きなことをやっていくのが、これからの人生でやっていく
ことだと思いました。

 

周りを見てみると、就職活動のリクルートスーツを着て、
履歴書を手裏剣のように100社以上の会社に配っては、
その会社が好みそうな面接トークを勉強している。

 

いい大学に行って、いい会社に就職して、いい結婚をして、
いい人生を歩んで、いい老後を迎えて、いい死を迎える。

 

このセリフは、聞き飽きていたし、「いい」ってなんなんだろう?
生きる意味は?人生って?仕事って?結婚って?お金って?
大人になるって、どういうこと?
みんなそれを思考停止して、一律の答えを片手に就職する。

 

そういうのに、従っていっても、この先世の中は不透明。
昔のような安定なんて、保証なんかない。
なら、自分で自分の道を切り開くのがきっといいだろう。
そう隆太は、考えました。

 

隆太は、学歴もなにもすべてが関係ない、自分の好きなこと、
価値観、実力のみを試すことのできる世界に行きました。

 

テニスのコーチでした。
テニスはうまかったわけでもなんでもなく、ただ興味があったんです。
あと、はた目に見ていて、カッコよかったので(笑)

 

反面、自分にはできない。。って、2年生のころからやりたくても
できないって、躊躇していました。
スクール生だった自分には、コーチは雲の上の神様のような存在
だったんです。

 

でも、思い切って、テニススクールのコーチに、
「実は、テニスコーチになりたいんです。バイトをやりたいです。」
って、言ったら、

 

「お前、バカじゃないの?お前みたいなヘタッピになんか
 できるわけないだろ?」

 

とか言われると思っていたら、「いいよ」ってあっさり
デビューできました。
大いなる壁は、ただの扉だったということがわかった瞬間でした。

 

4年生になるころ、隆太はテニススクールに週6日、バイトを
やりに行き、ひたすらテニスと家の往復をしていました。
それが、隆太だけの就職活動でした。

 

そのまま、コーチとして、就職することになりました!
「やった、好きなことを仕事にできたぞ!!」
そう思いました。

 

でも、夢を現実にし続けるには、そう甘くはありませんでした。

 

~(5)に続きます~

隆太の半生記(3) ~高校時代~

投稿日:2009 年 2 月 22 日7:04 PM
隆太の半生記(1) ~幼少時代~
隆太の半生記(2) ~中学時代~
(2)のつづきです。

高校時代に入ると、みんな色めきだってきます。

隆太は小学校から男子校で、高校もそうでした。

 

でも、高校ともなると、女子校の学祭に行ったり、周りにも
彼女ができる人もちらほら出てきました。

 

部活は、入る気にならず、帰宅部を選びました。
イキイキとしている人たちと比べて、コンプレックスの
塊の自分は、一歩も二歩もひけてしまいました。

放課後は、ボーリングや、ゲームセンター、マージャン、
カラオケに明け暮れていました。

爽やかにスポーツをやっている人たちとはかけ離れた、
かなり内向的で、オタッキー(いま言うのかな?)な生活でした。
テニスをスクールで友人たちと始めたのを除いて。

 

そんな自分たちの仲間も、彼女ができ始めました。
でも、そのことを、自分にはオープンにしてくれないのです。
言っても隆太には縁のない世界だし、コンプレックスを
強めてしまうのがわかっていたんでしょう。

 

自分も、女の子とはなにを話したらいいのか、わからなかった
ですしね。
でも、さすがにわかり始め、におわす感じになりました。
でも、ちゃんと紹介をしてくれたのは、しばらくあとに
なってからでした。友達グループでは、最後でした。
なぜ、自分には、言ってくれない??
自分のことを、女の子の前に出すのが、恥ずかしいのか??
そう思い続けていました。

 

ムリもありません。それは自分で招いていました。
ファッションなども、自分には、なに1つ似合う服なんかない。
着ていたのは地味なケミカルウォッシュとか、水色のトレーナーとか。
ホントに恥ずかしい服だと自分でわかっていながら、それを変える
勇気もない。隆太がそんな自己嫌悪な状態だったので。

 

そんな人間関係を象徴するような、高校2年の文化祭での出来事
がありました。

 

彼女のいる友人たちが、それぞれの男友達、女友達と計20人で
集まり、文化祭のあと遊びに行くことになりました。
友人の一部は、音楽部でバンドをしており、モテていました。
自分も誘われましたが、外見、内面的に、自分にはやる資格が
ないからと、やらないでいました。

 

20人のところ、集まったのは21人。
男11人、女10人。男が1人多い・・?

 

その中の1人が、ryutaに言いました。
「松田、ごめん。」

 

意味はすぐにわかりました。
隆太は、人数調整のために、はじかれたのです。暗黙の了解で。

 

「ああ、わかった、じゃあ楽しんでね」

 

って言って、平静を装ったあと、校舎を出たら駅まで走って
帰りました。悔しくて泣きながら。
帰り道に、通りすがりのおじさんが、そんなryutaにダメ押しで

 

「もう、文化祭は終わりなのかい?」って言ってきました。

 

悔しくて、たまりませんでした。でも、どうにもできませんでした。
自分に対して、こんな自分だからダメなんだ。。
でも、見返してやる。いつか見てろよ。そう強く思いました。
でも、それができない、セルフイメージの低さ。自信のなさ。
屈折した思いを抱えながら、過ごしました。

 

そんなことはだれには言わずに、またいつも通りに過ごしていました。

 

高校3年になるころ、演劇部にいました。

 

男子校の演劇部はレアで、別の友人が、先輩が卒業して
彼1人になってしまうから、かけもちでいいから入ってって。

 

みんな入りました。1人だった演劇部は、10人くらいに増えました。
なぜか?この一言でした。

 

「女子にモテモテだよ~」

 

そう、演劇をやっている人は、女子が圧倒的に多いのです。
女子校や、または共学でも、女子比率がかなり高めでした。

 

演劇をやっていくなか、交流する機会も増え、少し女の子とも
話す機会が自然に増えました。

 

1回、告白する舞台設定を、友人みんなでつくってくれて
2人きりになる機会があり、あとは言うだけっていうところで、
5分くらい沈黙で、やっと「また電話する」と言えただけで、
撃沈したりしました。

 

でも、人生で初めての彼女も、そのあとにできました。

 

そのときにやっと、自分のことを少し認めてあげることが
できました。
自分のことを好きになってくれる人は、この世の中にはいない。
そう思っていたんです。
でも、いいところを、見つけることをしてくれました。
そして、自分では短所だと思っていたところ、特に外見を、
受け入れてくれました。

 

クラスメイトが、「オタクの松田が彼女いるらしいぜ」
って、ビッグニュースのように言っていました。

 

この恋は、3ヶ月で終わりました。
自分が、生真面目に考えて、結婚を前提でなければ、
つきあってはいけないって思っていて、その子のことを
受け入れることができなくなってしまったんです。
キスもしてはいけないって。
いま思うと、どんだけ、固定観念強かったのか・・(笑)

 

自分のことをラクに受け入れることができず、人のことも
ラクに受け入れることができなかったんです。

 

大学に入ったら、自分を変えよう。
全部、リセットして、新しい自分になろう。
新しい自分を見つけよう。
そう思いながら、大学生活に足を踏み入れました。

 

~(4)に続きます~

隆太の半生記(2) ~中学時代~

投稿日:7:01 PM

隆太の半世紀(1) ~幼少時代~

http://ten-pro.jp/ryuta/?p=78

 

中学に入った隆太は、部活を選ぶのに、どうするか。
迷いましたが、卓球部を選びました。

適度に運動できるところにしようって入ったのが、甘かった(笑)
陸上部よりも、走りこみが厳しく、運動部の中でも、一番
最後まで居残って練習しているところでした。

 

卓球は、かなり燃えていました。
東京の高田馬場にある、国際卓球という専門店や、BIGBOXの
卓球場は、よく仲間と通っていました。
地域密着型の情報で、すいまめん。

 

ちなみに、小学校時代は、鉄道研究部(鉄道模型とかで楽しむ)、
卓球部でした。
明るい生活ですね~ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)

 

都の私立中学が集う大会で、ベスト4に残ったこともありました。

 

小学校よりも、友達も増えました。
少し、楽しくなってきました。

 

でも、このときの悩みは、アトピーでした。
(いまも、少し残っていますが、ほぼ完治です)

 

とにかく、痛がゆい。
精神的にも、ものすごいイライラして、落ち着かない。
アトピーの人なら、この気持ちよくわかると思います。

そして、両手はいつもひび割れ、全部の指先から
あかむけのようになり、手のひらの下まで、真っ赤に
むけていました。

 

顔は、全体が、ただれたように赤くなって、特に目の周りは
ガサガサでした。

 

顔をいつも、下に向け、目もだれとも合わせられませんでした。
恥ずかしくて、たまりませんでした。
みんな、笑っているんじゃないかって、勝手に思って。

 

そんな自分がイヤになると、精神状態と比例して、アトピーの
症状、かゆみはますますひどくなります。悪循環ですね。

 

中学校のときに、マージャンを覚えました。
自分の家や、友達の家で、やっていました。
点数計算も、あっという間に覚えて、楽しんでいました。
人の性格、心理が出るのと、頭と直感を使うのが、とっても
楽しかったです。
3年になって、卓球部が引退になると、マージャンまたは、
ゲーセンで、遊んでいました。

 

テトリスは、レベル99にまでできるくらい、ハマっていました。
1回やりはじめたら、オタク的に、じゃなかった(笑)、
とことん集中してしまう、そんな子供でした。

 

基本的に、外には自分からは表現することはせず、内に内に、
こもってしまっていました。
熱中しているときは、自分らしくいられましたが、そうでない
ときは、自信がなく、人の言うがまま、断ったりもできずに、
押し流されていました。
アトピーもあり、今よりもだいぶ太っていて、そんな自分には
自信は持てませんでした。。

 

写真は、高校時代まで全部捨てて、手元には残っていません。
それくらい、見たくもないくらい、自分が嫌いでした。

 

ちなみに、小学校から高校まで男子校でした。
女の子は、残念ながらいまのところまったく登場しません(笑)
高校生になって、はじめて恋をすることに・・

 

~(3)に続きます~

隆太の半生記(1) ~幼少時代~

投稿日:6:59 PM

いまの隆太にいたるまでの、自己開示をしていきます。
隆太のことを、少しでも知ってもらえたらうれしいです。

 

かなりネガティブ(と呼ばれる)な部分も出てきます。
そのつもりで、読んでください。

 

そうした部分も、いまの自分を創りだしているものです。
こういうことを書くのは、正直、勇気が要ります。
でも、そうすることで、心が軽くなる人もたくさんいるんじゃ
ないかと思うので、書きます。
そうなったら、うれしいです。
自分だけじゃないんだって、共感してもらえたり。

 

あったかいこころで、読んでいただけたらうれしいです。

赤ちゃんのころは、おとなしく、ぜんぜんしゃべらなかった
ようです。昼は黙ったまま、じっとしている。
(この傾向は、中学くらいまで、基本的に変わりません)

 

でも、夜になると、夜泣きが絶えなかったようです。
ベビーカーで、2時くらいまで散歩に連れて行くと、
泣き止んだそうです。

 

幼稚園でも、自分からしゃべったりは、しませんでした。
しゃべったら、嫌われるというのが、ありました。
これも、中学高校まで、続いていました。

 

父親は、暴力的だと感じていました。
母親は、口うるさく感じていました。

 

そんな父親は、兵庫の下町の出で、母親は、どちらかというと、
いいとこの出でした。

 

4歳のときに家族で、カレーライスを食べていました。
父親がカレーを下町育ちなので、ぐちゃぐちゃに混ぜるのを
「きたないよ~」って言ったら、突然平手打ちが飛んできました。

 

「うるせえ!!」

 

イスから、吹っ飛ばされました。

 

この時点で、父親に対しては、しばらくの間、口を閉ざす
ことになりました。
意見を言うのが、恐くなってしまいました。
目を殴られたこともあります。
母親に対しても、暴力をふるい、耳を殴り、母親の耳が
遠くなるほどでした。

 

当時は、殺してやるって思ったこともありました。
(いまは、両親ともですが、すごく仲が良いです。
 すべてを話しましたので)

 

母親は、いわゆる教育ママでした。

勉強をして、点数をとるときには、とてもほめてくれました。
でも、なにかのリーダー的なもの(班長とか)をやるときには、
「あなたなんかにできるわけない!」って強く反対されました。

 

すべてに対してすごく、過少評価をしてきました。

 

これも意見が言えない。
俺はなにをやったらいいんだろう。。
なにを言ったらいいんだろう。。

 

言ってもわかってくれないなら、言わないで、人の言うことを
ただ聞いて従っていったらいいのかな。
そうしたら、嫌われないで、すむのかな。

 

自分で考えることを停止して、友達や両親、先生の言われるが
ままにしていました。

 

隆太には、4つ下の弟がいます。

弟に対して、自分がなにも言えないうっぷんを晴らすように、
殴ったり、蹴ったりしていたこともありました。
兄弟げんかと言えば兄弟げんかでしたが。

 

でも、ファミコンを仲良くやっていることもありました。
対戦型のものも、うお~~って楽しくやっていました。
ただ、衝動的に、そういう凶暴な自分が出てしまっていました。
自分を殺していたのかも。

 

その理由は、赤ちゃんのころに経験した、愛されない寂しさから
くるものだったのかもしれません。
そのころの記憶がないところがあります。
それについては、また後ほどの日記で。

 

これは、つい最近まで、そういうところがあって、そういう
ネガティブな自分を認めて、穏やかにすることをお参りや、
瞑想などを通して行うことや、小林正観さん、斎藤一人さんなど
に触れ、考え方の次元を変えることで、受け入れていきました。
自分や人に、感謝をして、ゆるして。

 

小学校のときは、とにかく偏食でした。
食べ物の趣味は、人の趣味というように、人に対しても、
数人にようやくしゃべるという感じでした。
強く言われたら、黙り込んでしまう。
自分を出したら、嫌われる。
そのときはそう感じていました。

 

小学校は、ひたすらゲームに走っていました。
ゲームは、得意でしたし、大好きでした。
小学校1年から、ゲームセンターが好きでした。

 

旅行に行っても、ホテルのゲームコーナーに入り浸っていました。
人を避けていたのかもしれません。

 

旅行には、祖母や祖父も含めて、引っ張りまわしました。
電車に乗るのが大好きで、目的地に行くのに、特急とかに
乗ることそのものが好きでした。
山梨の甲府に行き、そばだけ食べてすぐ帰ってきたり。
ああ、もったいないですね(笑)
そして、時刻表も、眺めているだけで行った気になって
ニヤニヤしていました。鉄っちゃんでした、ええ(笑)

 

人に対しては、ものすごく根暗でした。
出せば嫌われると思うから、出さない。
出さないと、余計に嫌われる。
悪循環で、どんどん自分を嫌いになっていました。

 

勉強は、認められていたので、たくさんやりました。
勉強に逃げていたというのが、あたっているかも。

 

長い長い間、耐えるように、小学校生活を終えました。
つまらなかったんです。
自分を押し殺して、屈折していました。
コンプレックスのかたまりでした。

「かわいい」って言われることが、とても多かったです。
女の子とまちがえられることもあり、童顔で、背が低かったので。
でも、それがすごくイヤでした。
でも、言えないで噛み締めていました。

 

ゲームや旅行をしているときは、ただ楽しかったです。
人間関係が、すべてわずらわしかったのです。

 

~(2)に続きます~